あの一言が無かったら


1.過去に悔やまれる出来事があって

長い過去を辿ると幾つかの苦い経験が誰しもあると思う、決して取り返しが効かない世界、正に自分が尊敬する夢の存在たる人に、、、です、友人にしてもしかり、自分の油断と無謀さが原因、よく人により辛抱できなくて、よくカチンと来たとか切れた時の出来事でもあろう、その時点では自分の言い分があり、そうショックな出来事でも無い筈が後からよぉ〜く考えてみると軽はずみだったと気付く、生きてゆく中で何回も経験する事です、相手としたら何回も言われては逃げるようになる、遠ざかってゆくというのは見えている、反対に自分は自己嫌悪に陥り心も離れていってしまう結果となる、その中で妬み、僻みの表れでもあるのは後で気付くんです、まそこで邪魔をするのが自分のプライド、相手のプライドは傷付けても自分のプライドは持ち続けたいのが人間の本性なんです

年月を重ねてくるとこのような出来事は考えようでは宝物になる、それが若い時か老年になってか、若い時に克服する人と気付くのが遅い人とでは相当な差がでてくる、人間も65歳を過ぎた頃から体力や病的な面で能力の限界を感じるようになるから早いのに越したことはない、色んな例があるとは思うが叱咤激励の一言、別れ話、忠言、励ましの一言等など反対の場合もそう、余計な事を吐いてしまった時、反省点は老後になってからも影響する、要するに存在するという、我がままで通した自分の人生の終わりに施設酔いう集団生活を余儀なくされたらどうするでしょう

人様々です、施設に入り、こんな楽しいのならもっと早く入れば良かったと思う人、気ままな一人暮らしの方が良いと思う人もいるでしょうね、男は外に出れば7人の敵がいると言われます、正にその通りで苦手な人間もいる、容易い人も居るでしょう、反対に考えてみれば苦手な相手から逃げてばかりいるんじゃなくて、自分にとってライバル視してゆくほうが楽です、何時かは超えてやる、目標に頑張れば良い、長期戦になるでしょうが、それも張りがあって面白い、そうやっている間に相手が潰れればこちらはガックリ、もっと頑張って欲しいと願うようになる、要するに良きライバル、悪きライバルは必要なものです



どの世界でも言える話

つい出た一言が悔いに残ることがある、相手にも影響するが反面自分にも嫌悪感が付き纏うこともあります、でお素直に謝れば済む話だがこちらにも言い分があり、そのまま自分が身を引くケースは誰にもある、要するに情熱を失ってしまっては何も残らない、でも他の世界にもあるんですよね、どの世界にも同じ事の繰り返しはあって当然なのかも、本人にとって楽しい世界へ逃げるのは必ずと言って不思議なことでもない、例えば就職したけど、長続きしない、また他の世界へ移動しても同じ事の繰り返しとなる。どこかで辛抱するということができない限り駄目、例に例えれば看護、介護、夜勤労働、三交代、やりがいのある部所もあるが嫌な仕事は付き物、これを乗り切るのは熱い情熱、早く適応するというか慣れること、

家族を養うため働くという大きな目的もそう、世界を大きく見れば自分が合っている職業がどんなものか気付くのは現実を見てから解る、逃げるといっても逃げ方が問題になるでしょう、それまでの経験を踏まえまた新しい現場でより良く生きる方法、今度は失敗しないとなれば話は別物、それこそ経験を実にして成長する、それが解らず10年も20年も渋滞をする生活はあまりにも勿体無い、問題はそれを解るのが経験をしてからの人生後半だということ、早く気付いていたらどうだったろう、また違う人生を歩めたのかも知れない、長年働いていた中でもそれはあるようです、だからどのような時でも最終判断と最終消化は自分の中に存在する


自分の中の馴れ合いと焦りから

馴れ合い、余りにも知り過ぎている、初心忘るべからずという言葉が悪さをする、緊張感などが無い世界です、その中で今まで馴れ合っていた相手が上に登ってゆくと面白くないのが必然、その中に余計なイヤミや妬みが存在するように思える、自分の悪い噂が流れる時、その犯人は案外身近な存在だったという、これは人間の妬みから生まれるのは確実です、自分の親友は何時も自分と同じ地位やクラスでいてほしい訳、そのバランスが狂うと余計な一言が多くなる、自分おが先輩より上にゆけば面白くないのは確かな事なんです、そのアンバランスの世界にもどろどろした関係が生まれるんです、さぁ〜どうしたら上手くゆくんでしょう、


本人自身の消化能力と克服してゆく能力が無い限り到底無理な話、そこで出る言葉は相手を相当傷つける事になります、例に例えれば出世した芸能人なんかは地元にあまり帰ることは少ないのがその証拠で応援してくれるのはほぼ少なく、妬み僻みが8割にもなっている、とにかく気使うらしい、有名になると親戚が激増してくるけど悪くなると激減する、これは極端な例ですが、人が良くなれば必ず起こってくる症状、そこで必ずしなければならない反省とは年代を問わずありえるから何時も感じてなければいけないし、するべきでしょう、昔からよく言ったもので親しき仲にも最低の礼儀は存在するという話です、これは発した側にも受けた側にも相当なストレスになって来る訳です


反逆の精神力が必要

衝撃の一言を受けた側からすれば反対に見返してやろうというタイプと逃げることで刺激を避けるタイプがいます、元々素質が無ければ逃げて他の世界で一流になるのも方法でしょうね、どうしてもその場で勝負して多難な苦労を強いられるのも考えようです、若い頃はそれで良かってもわざわざ苦労が見えている世界にとどまることもない、その判断は自分自身でもある訳です、まして試練を楽しむことが出来なかったらどん底に停滞していたならばまったく面白みもない、職人なら終わりのない技術の世界、何歳になっても勉強で、閉店する時が終わりです、まして対面のサービス業は特に言える、お客さんの反応は敏感で研究する姿勢は感じるものです、どちらにしても結果が出ますし、何事も前向きに考えるべきでしょうが引きも大切な所です、特に若い頃はその一言があったため反面大きく化けし自分の生きがいになったとしたら喜びべきでしょう、例えば失恋の時もそれは言えます、きっと立派になって見返してやろうなんてね、会社の場合、違う世界も同じです


反省を実にする癖をつける

自分が相手に余計な余計な一言を発した事で相手は奮起し、自分より上を行ってしまったら相手の勝ちです、それで余計な事を言ってしまったと嫌悪感に陥り低迷を続け落ち込んでしまう程馬鹿なことは無い、対照の出来事で無い場合も生じる、相手がひるんで落ち込むことも考えられるからです、こちらは反省を糧に実にしてゆけば良いのでしょうが中々そうはうまくゆきません、この駆け引きは長年続くこともあれば明日にも解決する場合もあります、二人が仲が良ければもっとひどい事になります、それも言ってはならない事、一番気にしている恥部、えぐられる様なひどい一言に感じられます、そうした所がえぐい一言になります、でもいちいち気にしていては時間が進みません、さてどうしたらとなります


しかも相愛関係にでることが多いのです、夫婦関係も同じく、あんなに仲が良かったのに何で離婚をするのだろう?世の中不思議な出来事が多いのです、昔の夫婦は見合いが多く、辛抱ができるので続いているケースが多いという、結果見合いの方が長続きするように思えます、さすがに今は環境が違うから例える事はできないんでしょうが、誰しも失言や失敗は多いんですがそれをどう反省して実にするかが課題です、こっこっそれを実にしながらもう前に進むしかありません、


目標は段階ごとに決める(目標点降下)

失敗やその反省ごとに消化して前に進むというがそう容易いものでもない、相手が悪、自分が悪に関わらずに、またそのようなケースでも自分が引き下がっていても事は解決できない、下がった地点でも次の段階の目標店は決めなければ実にならない、それを目標に努力できるからです、上で頭を打って下がってからはいま下がった地点から一段階上を目標に持つことです、決して無理強いは禁物、それだけ弱っているからですね、目標を超えればまた次の目標を目指すという癖を付けておくことが必要、いざその場面に陥った時、対処が楽にできるからです、例えると本職と趣味2つ、お互いに回っているとします、本職での悩み、趣味での悩み、これが仕事一筋で悩んだとしたらどうします、物凄く落ち込むでしょうね、本職での落ち込みは段階を下げ、趣味への目標点を上げたらどうでしょう、また趣が変わってくる感じがしませんか、


そのうち、その組立、整理の方法が読めてくる事があります、一つの事だけ集中するのは凄く危険だと思えます、本業は途中で挫折したら生活に響くから慎重にやらないといけませんが趣味ならそのまま休憩しても何の影響も無いわけです、僕もこの年になっても通過点だと思っています、だから毎日を仕事でやってゆくことができてます、仕事でも他の事でも何時かは限界を感じる時がきます、しかしそれが今が続けていられるだけで幸せに思えます、だったら意外と悩んでいることがいかに小さな事か気付くべきでしょう、ようするに世の中では自分よりもっと下層で苦しんでいる人も沢山居るということです、上には上、下には下がある、まだまだ下があるからそう落ち込む必要は無いと思うべきなんです。


あの一言があったからこそ、今が

反対に過去にあの一言があったからこそ今の自分があると考える人がある、生きてゆく中でヒントを与えてくれた方、少なくとも有り得る、それが励ましもあれば方向性を導いて
くれた人、感謝している場合がそう、自分の道へ導いてくれた人、決して自分だけで進んできた訳でも無い、しかし才能、努力、勉強、運は自分の責任化でモノを云う、どんな素敵な世界へ招待されてもこれが無かったらひと握りの成功へは繋がらないということ、自分の才能を見つけるのは誰でもなく自分自身、これが案外やっかいなもので、そう簡単に見つけることができない、偶々の出会いで才能を見つけてくれる人が現れれば良いがそう簡単な業では無いでしょう、ただ経験を重ねた人からみればズバリ解る部分がある、だから行動せずして成りえない部分もあるようです、自分がもし成功者であれば這い上がるべき若人の才能を見出し、道を付けてやる事も必要です


若くしての才能開花と反面遅咲きのタイプもある

あんまり若くしての開花はどうしても挫折に弱い、しかし遅咲きは意外と苦難に強い、若い時のちやほやされた経験は忘れないが為に努力や苦悩を経験しないでもう一度陽の目をみたいと欲しがる栄光、しかしめったな事でそれは再開花しないのが普通だ、これは正に運としか考えら得ないところがあります、下積みを重ねると修行の苦しみを知っているからその気持ちがよくわかる、何事も成し遂げる為にはまず目先の目標を決める、それが意外と楽しみになればしめたもの、

上手く行かなかっても元々だと思えば気楽に挑戦できるという、それは案外達成ができるんです、もし超えればまた次のタ^ゲットを見るける、段々と上に上がって行けるんです、その積み重ねが遅咲きという形で現れてくるようです、若くしての開花は落ち込んだ時、そのランクまですぐ戻そうという気持ちがあるから無理な話と化する、だから遅咲きの方が気楽に楽しみながら登って行ける、人生なんてそんなものかも知れませんね、それは自分の中で楽しむという姿勢が大切です





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