前向きに生きるべきか

    前向きと自重は別物かも

    人生のどん底から這い上がってくる者は凄いパワーを持っていると思う、切り返しが上手い、その中でプライドを捨てることができる人、
    これが相当厄介なもので一番楽なのが失うものが無い場合、でも過去のプライドがあるのは厳しいくそのまま埋もれてゆくケースが
    多い、上に上がれば上がるほど落ちた時の悔しさと屈辱は大きい、惨めな思いは増幅するのです、若年齢からやり直すのは意外と
    簡単だが高年齢からは厳しい、要するに失敗したら元も子もなくなるからです、積極的と前向きは比例しても消極的と後ろ向きの姿勢は
    少し違う、高齢者もよく前向きに考えるというがその年齢では失敗の確率も大きい

    良い時の自分を知っている人は反省する事が多い、若き日の失敗は身になり血になるから大切だが高齢では無理難問と化する
    人生には最低4度の転換期があると思う、始めは学業を主とする所から就職する時、次は新天地を開拓する転職時、3度目は老後へ
    の転換、老後でも前向きを考える人も居るがその対応する気力の問題、

    最終の転換は自重するタイプにも言える、例えば若き頃には重複して趣味が持てたものが年齢を増すことによりそれが中々難しく
    なってくる一つないし2つに減らせば良いと感じる、その点柔軟な考え方が求められる、年相応という言葉があるがそれである、
    一つ言えるのは後進の育成に時間があればするのも良し、従業員の育成、指導に重点を置くことも良い、65歳以上にもなれば
    会社組織では引退を考えて若者に託すのも方法です、何時までも続けているのが良い訳でもない

    でも後継が無く、職人なら最低できるところまで頑張るのも方法、貴重な技術はそのような形で残っている、自分の体力の続く量を
    こなすのも方法、しかしその場合、前向きにゆくかどうかの問題点に差し掛かる、要するに冒険ですね、限界を超えた仕事量はともかく
    病気を誘引する、限界の前で止めるべきです、そのローテーションは自分でも把握できると思います、どこが限界点とするのかというと
    仕事の時間ノルマにストレスを感じない程度でしょう

    前向きと自重の中間であり上手く使いこなす程度の配分が要求される、もうこの辺が限界と感じる時があると思う、そこが限界点で
    そこまで行くまでに気付くべきである、自分が高齢になっていることを気付かず若い頃と同じ量をこなしていると何時か切れる部分が
    ある筈です、要するに高齢になってきたら年齢に合わした仕事をする事が必須、無理をしてストレスが増し大病を起こしてしまう、
    そうなる前に早く気付くべきでしょうね、


    昔の事を何回も言うと嫌われる

    ようは昔は昔、ぐちぐち繰り返し愚痴を言うと誰もが相手にしなくなる、大した事であっても軽く見られるという話、他人から言われる
    のとは値打ちが違うという事です、自慢も言うと反感が多くなる、家族間でもそうでしょう、話に乗ってはきません、昔を見てばかり
    いると前向きでは無くなる、でも後ろ向きでも無い、振り返ってみるのは良いが、そこで成長が止まるところがある、別に高齢になって
    から成長は要らないと思うが、それなりに伸びる余地はある訳でまんざら馬鹿にはできない、

    昔父に言われたそれも何回と、戦争の話である、もうやめてくれと思った事があるでしょう、そんな昔の事ばかり、昔じゃん、今は
    そんな事言ってもなぁ〜なんて、時代が違う、食べ物にしてもそう、今とは違う、今の若いものはとぼやく、昔やないやん、もう〜
    しかし老齢になっても昔のことははっきりと覚えているから達が悪い、最近の事は忘れるのに、昔は良かったと言うのもそう、昔は
    昔やん、

    ヘアースタイルでも同じく、今の若者の髪型はみんな同じに見える、しかし個人ではみな個性があるように感じる、どうみても
    イケメンヘアーであること、何が良いのか解らないがみな同じ、人気アイドル並になっている、しかし昔も同じでスターの真似みたい
    同じ事の繰り返しだろうと思えばそうです、過去をリメイクしたものなら後ろ向きの感じ、前向きとはどんなもんだろう、誰もがやって
    いない斬新なものか、

    意外と斬新なヘァースタイルもあったと思う、誰もやっていないスタイルは白い目で見られた、それも斬新であればある程世間では
    受け入れがたいものでそれを前向きと考えるかどうかの問題で本人が良ければそれで良い、しかし社会では中々受け入れんられ
    い、成人式を境にして段々と社会に馴染ませられる傾向は今も同じ、現実社会は制圧されている、トラックの飾りにしても、茶髪に
    しても駄目と言う会社が増えてきたようだ、昔は昔、今は今と言うことか

    前向きは若者の特権か

    それは言えるでしょうね、若き日の行動はどんどん攻めるべし、殻を破って前に進むべきでしょう、失敗は成功の源という、それも良し
    しかしある年齢から考え方を変えるべき時期が来るでしょう、攻めるのが良いのか守るべきか、石橋を叩いて進む事も大切になってくる
    それは過去経験してきた知恵を生かす時代に入る、痛い目にあった経験をです、考えてみれば段々と賢くなってしまうという事です、
    さてそれが良いのかということになる、世の中を上手く乗り切る方法だとも言える

    長いものにまかれろ、大きいものに隠れろ、上司に可愛がられろとなるが、此処でそれが自分に合ったものかを見据える姿勢が大切に
    なってくる、それが変人と言われても納得ゆくべきものなら良いんじゃないでしょうか、強い人にしっぽを振ってついて行くべきだろうか?
    尊敬すべき上司ならそれもいいことかも知れないがこの人に付いてゆけないと認識した時、どうするのか、疑問になる時期も来るでしょう
    そうした時、どう判断するのか、

    判断は本人の納得が必要、といえば後で悔いが残らない判断です、結果が悪かったとしてもこれで良かったと思うこと、これぐらいの
    知識は持てる年齢になってきているのもこの頃でしょう、例えば30代から40代前半、転機があるとすれば一番難しい時期でしょう、
    結婚していて動きの取れない時期でもある、一番難しい年齢化でどう判断してゆくのか、厳しい転機が訪れる時期となる

    完璧症は前向きを害するというが
    
    何事もこだわりすぎると事の進行を抑えてしまう、進むのが遅くなる、過去へのこだわりもそうなのか、昔と比べ悪いと感じて襲いかかる
    年齢からくる老化は抑える事ができない、だったら今までの完全主義が壊れてくるのは必至、そこでずぼらとかおおまかとか、適時に
    考え方を変えなくてはいけなくなる、これが高齢になった時の心構えでもあると感じる、過去どれぐらいの上を経験しているか、そこから
    
    ギャップに対してどれだけのプライドが持っているかというのが概して邪魔になってくるのです、まだ上が残っている時は良いが、頂点を
    極めたかどうかです、性格的なものもあるがある程度でどれだけ簡素化できるか、大体でまとめることが出来るかが問題点、50歳を
    過ぎれば完璧でなくても十分にやってゆける、60歳を過ぎれば仕事も無くなり、新しい老後時代にはいる事である程度の消極的ライン
    が強いられる事が多く、その場合、

    ようは第三の人生時代にはいってくる、それはそれで新しい環境に合わせて生活してゆくことが大切です、健康維持のウォーキング、
    運動、リハビリ、まったく今までにない設計をしなくてはならないと言うことでしょう、世間からみれば前向きでは無いように思えるが
    自分が前向きだと感じられれば良い、考えようによってはええ加減、さぼり、ずぼら、一見そうみえるがそうでは無いんです、これに
    抵抗を感じられないようになれば良いんです、

    何がしする事でぼけ防止になればそれも前向きな行動だとも言える訳です、何もせずぼけ〜っとしていることが消極的で非行動的だと
    思えます、長い会社生活で疲れて何もする気にもなれない症候群ふぁ病気の元になる、自己からくる免疫力にも影響して来ます、よう
    するにその限界点をどこで知るかなんでしょう、特には病気もした事が無いと言われる人が大病をするケースが相当多いという、油断で
    あるのかと、何時もどこが悪いとか気付けている人のほうが長生きするように思えます、

    前向きすぎる失敗、後ろ向き過ぎる成功、案外これなのかと思える、40代で老後を考える人も少ないだろうけど、しかし40代がその
    転機かも知れないと言うこと、20年なんかあれっと思うほど早い、だったら60代には80歳の自分を想定した計画を練るのが良いのか、
    どれも僕としても40代にそうした事を考えてもみなかった、来を見据えて考えうと言うことは前向きの現れだと感じるようだ、前向
    きの意味は色んなことでも試してみることが良いのかと感じる日々でもあります

    
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