もう〜どうでもいいって

    難問へのヒント

    今まで綴ってきた、まとわりつく過去のトラウマ、立ちはばかる前面の大きな壁、幾多の難問は(もうどうでもいい)が案外解明への
    ヒントが隠されている感じがする、そう思いがけないところに解消の糸口がある、この言葉は一見、後ずさり、消極的無責任、引き
    下がる、諦める、情熱が無くなる、逃げるという悪所にも感じるが良い所もあるようだ、切り替えができる、忘れる事ができる、迷わず
    決断できる、かかわりが無くなる、新天地に向かう馬力を生むと色々とあるようです、

    何事も忘れることで無になれる、これ以上悪くなることも無い、新しい気力を生む原動力にもなり得る、何にしても、もうこれで良いだろう
    と思う時があると思える時でもある、要するに無いものから何も取れない状態になること、開き直りの状態化に陥る場面でもあります、
    迷い道に入った時、何があろうとどうにかなると信じて進んでゆく姿勢も感じる、存概、長いあいだ付き合いがあり、その人が去ってゆく
    時、ショックもあるがそれより、長い付き合いでもあったがもういいっかと思う場合が多いこと、そうしたらもう悩むことも無かったとと気が
    付く

    「もうどうでもいいっか」と思う時、いい加減な場面とまた違う面があることに気付く、案外さっぱりした気分になる、不思議な傾向がある
    んです、もう何を言われたって気にならない気分は自分の好転を生み出すことがあるんです、これは試練というものの乗り切りから
    生まれてくるのかもしれないが切り札とも言えます、心の中の闇から抜け出る道が隠れえているのかも知れない、だが使い道を誤
    るとえらい目にあうから使用法を間違わないように使わないといけない
    
    だが未練を残して前向きに進むことが良いとは限らない、すっぱり忘れて進むべきでしょう、もうどうでもいいという考え方は危険が
    付き纏う可能性もあるから自分のゆく道を相当考えて行動するべき、過去をすっきり忘れて新天地に乗り出す、それで集中できる
    環境化になる、ここまでやれればもういいでは無いのか、自問自答してみる、ここまで悩めばもう良いだろう、ここまでやればやり残
    した事も無い、周囲からあぁ〜勿体無いと思われつつ辞める人も結構いるがその感覚だろうと思います

    まぁ〜ここまでやったらもういいっか、ともうどうでもいいって思うのとは少し意味合いが違うようにも見えるが案外似たところもあるん
    でしょうね、もう辞めると、もう関わりたくないというのも同じだと感じる、大きな仕事を成し遂げた人が引退する時、その後もう関係が
    無いということは悪く言えば、どうでもいいと言う言葉と似ている、後継のことを思えば心配ではあるが任せる訳ですから相談されない
    限りタッチはできないという事、だからそんな事より自分の新天地に集中すべき、

    適材適時にこの どうでもいいを使うのが正しいのかな、人に相談しにくい部分なのかも、もうどうにでもしてくれの開き直りも一つの
    生き方として考えてゆかないとやっていられない、ただ何でこんな事で悩まなければと感じることがあればそこでの対策は最終的に
    もうどうでも良いへたどり着く事になる、まだどうでも良いところまでゆかない時はまだまだ最終地点に行っていない、例えればまったく
    お金の無いものほど強いものは無いという話です

    世にいる7人の敵を楽しむ

    もうどうでもいいと言われない存在、男は世の中にいるといわれる7人の敵、確かに最低は7人ぐらいいると感じます、嫌な存在、攻めら
    れる存在、それを皆、敵だと感じていればやってられない、敵でもあってライバルでもある存在が居るはず、決して仲良くならなくても良い
    何時か追い越してやろうという存在でもいい、ず〜っと長いこと続いても結構、抜かれたら追い越すまで付いてゆく、嫌な人も居ても
    良いと言うことになる、だからこちらかも近づかない、それで結構けだらけ、負けた時は反省する、勝ったらまた今度も勝ってやろうと思う、
    もうこれでいいかと思う時、7人の入れ替えを始める。だから努力したり勉強ができる
 
    詳しくいうと7人に絞ってゆくのが本当のところでしょう、その中で敵を思うか友人と思うか、敵だから友人では無いと感じるか、苦手と
    思うのかライバルと思うのか、大分見方が違うようです、そのライバルが去る日はもの凄く寂しい、小さい頃指導して貰った夢の存在が
    そうでもある、今回は身近な存在の敵である、敵を利用するといった感じでもあるが存概、楽しいと思うjことが多い事に気付くでしょう
    大袈裟に言うと生きがいでも良い、7人の敵を楽しむことが出来たら何とも楽しい事でしょうね

    僕も外に出たら嫌いなタイプが少なくとも2〜3人は居る、でもそれが変わってゆくこともあるようだ、いままで負けていた嫌いな人に
    勝ってしまってからそれが嫌なことでも無くなる、それでは面白くありません、だから7人から除外することにする、要するに敵では
    無くなってきたようです、だから省く、絶えず7人は入れ替わってくるんです、少なくとも3人は作っておいたほうが良いと思う、何時
    までも勝てない人には挑戦してゆく、次は勝とうと、、、抽選することで努力をする、考える、見る、その段階が自分を大きくする
    もうどうでもいいって存在は自分からみたら価値が薄い相手となる

    もう〜どうでもいいって感覚  これが急所
   
    続く結果がまったく気にならないこと、すっきり忘れれる、神経が集中しない、結果を恐れない、第三者の目で見れる、開き直りに拍車、
    悪く見れば無責任極まる性格にみえるがそうでもない部分が大きい、まとわりつく悪夢が消えることがダメージを受けない、プライドの
    白紙化に繋がる、精神的に強くなる、良い点も多い事に気付くことでしょう、現れるのは冷めた時多い、しかし意外と精神的に良い事
    を発見する人
も少ない、これが案外うっ病やストレスに大きく好転に関与していると気付いていないのも確かだ

    悪夢に覆いかぶせる「もうどうでもいいって」感覚は共通点が

    
夢にも通じるところがあるようにも思える、こんな事がありますよね〜夢を見ている時ははっきり記憶にあるがさて覚めてみると覚えて
     いない思い出してもどんどん忘れてゆく、これって「もうどうでもいいって」を被せると精神的集中がぼけて忘れてしまう、変な力が働き
     その場を逃れることができる、特に夢はうとうとした軽い睡眠時に見やすい、それも悪夢が主体です、この感覚が消せたら何とも
     気楽になる事でしょう

     逃げる、忘れ去る事への理解力または消化力の中で自分が立直つてゆく為に違和感があるかどうかも問題点、これを通り過ぎると
     新しい世界が広がってくる、それは前に前進しながら過去を消してゆくという良い方向への進め方、此処までたどり着ければ成功の
     方向に向かってゆくと思える、これは人から言われるものでもなく、自分自身の判断や見分ける能力を身に付けてゆかないと
     どうしょうも無いと思う、

     どうでもいいって=危険性も隣り合う

     一つ注意しなければならない事がある、どうでもいいとの思考はもう悪くなる傾向があるのにそれを捨てるというのは危険と隣り合わ
     せになることがあるんです、もう自分には無関係な事だと逃げる形と化する、例えれば薬物による、不安からの解消、脳内物質刺激
     薬物、、精神安定剤への依存、最低限自分の力で取り除く事ができる段階でもあること、自分自身で不安を取り除くべく、忘れると
     いう話であって、どうなろうとも自分には関係のない話だと逃げるものでは無い

     ちょっと説明がややこしくなってきましたが、使用法を間違えると大変な事になると思います、ここの場面はこの方法を取ると最適だと
     感じるがこの場面で使うと危険が隣り合わせになるということになる、良い場面に使うと効率的、かつ効果的になるが投げやりになる
     bのではなく、忘れ去る事で不安を取り除ける結果になる、悩んで悩んでその行き着くところに(もうどうでもいいっか)という終着点に
     到達するのではないかとの話なんです、しかし悪いふうに使うのは駄目なんです 良し悪しを判断するのも自分自身です

     追求からくる終着地には何がある

     何事もこだわりが強く、集中してゆくとある光明が差す地点があるという、問題はその過程で努力、切磋する中で生まれることが多く、
     最終地点は大した所では無かったという、しかしその目標の地点が目にする時には何でもない感覚に陥る、一番大切なのはその
     過程にある、小説で例えると異常にペンが走る時とまったく書けない時があるという、追い込まれないと書けない人と、追い込まれると
     ある壁に止まってしまう、良い作品はその経過地点で生まれる、早く目標点にたどり着くとサボり癖がつくがまだまだと思い進んで
     いる時は充実して前に歩むことができる


     何事も目標点が低くてはこれも良いはずが無い、目標を高くかかげ過ぎも今一です、途中で諦め半分心が生まれるし、程よい目標
     を持つべくして成り立つ、目標というもの少し高めに設定するのも良いでしょう、結果的に8割達成したなら結果良しとなる、最初に
     設定したもののもうどうでも良かったんだと気付くことになる、再度設定を考えれば良いんであってそう気にする事は無い肝心なのは
     その努力過程が良かったのであり
、目標点はどうでも良かったんだとなります

     ある意味での開き直り感覚でもあり

     そうこれは使い方にもよる、悪く言えば適当な逃げ、ある意味では余計な事を健忘して消し去る、自分のコントロール化にある整理整頓
     ともいえよう、でも少し間違うと相当違った意味合いをも持つ、年齢的にもまとめは変わってくる所もあり、この部分は重要だがこれは
     どうでもいい事との判断力が要る、神経の集中する部分の違いを現す、例えてみれば体のこの腰の部分が痛いが今日は首の方が痛い
     昨日痛かった腰はそう気にならない、脳の神経が首に集中しているからでしょう、神経的に違和感がある程度なら神経の精です、右
     脚が痛かったけど左足に負担が掛かり、どちらにしても双方で故障してしまった

     潰れたという結果になる訳です、もうどうでもいいって全部がそうなれば大変な事になりうる、要するにその使い道が大切、忘れるべく
     ところは忘れて大切な部分は残す、その配分次第で結果に繋がるという意識は持つべきでしょう、それが悪夢やトラウマや悪影の
     対策になれれば良い事だし、これらは教えて貰うべきものでも無い、自己意識の中で選択するべきでしょう
 
     信用の中にあるいい加減さ

     一時の逃げ場所という意味合いもある、完璧症では無い部分、完璧に行うのも方法だがいい加減なところも必要だという意味、塩味
     みたいなもの、良い話ばっかりだと面白くないって感じ、女性がちょい悪に興味を覚えるのと同じ感覚、反対の意味では手を抜くとの
     感じ、悪く言えばそうだがそうでもない、すこし違う面からみると気を緩める、安心する、関心を持たない、逃避する、消え去り、関心を
     避ける、負荷が多すぎるとパニックになり、訳の解らない行動に陥る、それこそ信用を失う結果になる

     だったらどうする、いい加減に陥らない程度に信用を失わない程度に手を抜くという話にもなる、何をやってもこの人には勝てない時、
     どうするとなる、もう顔も見たくない存在、言われた言葉がことごとく腹が立つってあるでしょう、会社組織ではええ加減な仕事は出来ない
     この部分はええ加減で良いという部分は希少でしょうね、それこそ追い込まれるとそれが出来るような気もする、前に戻るがどうしても
     この人には勝てない場合、目標を変えて、もうその人とはどうでも良い関係だと思うのも一つの方法の場合、これが適応できるのか
     、このどうでもいいって感覚は適時に応用すべきでしょう

     まとめ、危険と隣り合わせだが、、

     正に危険な分野かも知れないが上手く活用すると相当なストレスが解消される、高齢にもなるとこれを活用する機会が多くなるのは
     必須なところ、若年層にも関連はある、人間関係によるストレス、トラウマ、人間の弱さ、精神的不安とかうつ症状の克服に繋がる
     理想的に言えば過去の記憶は残るが最近の記憶は忘却して覚えられない症状、過去の残存記憶を排除できて最近のものと置き換え
     が出来れば良いんですが自分でそれが出来るかが問題点、そう簡単なものでは無い、だが小分けにできて積み上げれると意外と
     結果が残るかも知れない、もの凄い難題があるとそれを分割して解消してゆくと後から効果が出てくる、消す事で他の大切な
     部分までおろそかになるのが重要なポイント、

     それが危険な部分であるようです、もうどうでもいいって、逃げる道に入ってしまう事、このポインを使用して、此処は排除してゆくと
     方法が取れないと何にもならない、それが大きなものだと小分けにして排除、採用を繰り返してゆく、その結果、相当なるストレスの
     排除に繋がる、病気の予防、阻止になってゆく、結局人に頼らず、自分自身で乗り越えてゆくという姿勢を貫くべきでしょう、いわゆる
     コントロールの世界で自身の問題、結局どれを取っても個人の消化能力が鍛えられ得る訳で教えられるものでは無い、世の
     中には自分と同じ悩みを持っている人が居るという事を知れば何がしの克服方法を探し得る事が出来るものだと思います。

   
    



inserted by FC2 system