若き日の苦境は試練の時

とにかく若い人は色んな壁や障害にぶっかる事が多いはず、それに対して逃げるのは得策では無いでしょう、試練と思えば意外とすんなり解ける場合がある、例え失敗してもやり直しがきく、決して賢く立ち回ることは無いわけでどんどん攻めるべきでしょう、追い込まれると逃げる姿勢では無く、喜ぶ体制を持つべし、慣れるわけで仲間になる感覚、失敗しても充実した人生を送る事になる、今回は駄目だったけど、今度はそうはゆかないと次にターゲットとして臨める、挑戦の意思が目覚める、そうしたら次が楽しみになるし
嬉しく成ってくるはずです

彷徨う若者にも光明が指す結果として醸し出される、要するに考え方一つで人生を楽しく送れる、それが老年にも成るとそうしたことが負担に成るし、体調不良を誘発してしまう、だから若者の特権でもある柔軟性、やり直すことが出来ること、正に魅力でもあります、昔は人生の経験者にアドバイスを求めたが、いまではネットによる情報の入手で年上に聞かなくても検索さえ確りしていればある程度の答えを出せる便利な時代に成った、それも使いようでなんとでもなる、悪い面もあるが苦労をしないで情報が手にはいる

これが老年ともなるとそうはゆかない、石橋を叩く歩みになってしまう、もし失敗したらと痛い目に遭遇した経験がそうさせる、体力、精神力に負担がかかる、若き日はそうでもない落ち込みが浅い、立ち直りが早い、体力もある、50台はそれなりに、60台はぼちぼちにする、70台は決して無理しない、年代相応に対処しないといけない、試練は若者の財産とも言える、若さというものは怖さも乗り切れる対応能力がまったく違うのです、経験は血になり肉となる、どんどん進んで行動すべきです

例えば苦難に立ち向かう時、案外一隅のチャンスを考えるべきでしょう、今までに無い経験は実になり、血となり肉となる、喜ばしい事と考えることにより耐性ができる、例えば失恋でもそう、何時か女性を見返すことにやり甲斐を見いだす事も出来る、そう考えると、一匹オオカミでも良い、強い者にしっぽを振ってついて行く方法も有るだろうが、変人でも良いわけで同じ狢を持つ思想を持つ者も居るわけです何にも孤独な感じはしない


自分の考えを持つことは大切な事、至難は自分の中で消化し、新しい素敵な出来事だと思う、だから若い時はとにかく困難は自分に対しての試練で
あって何にも心配することも無いし、どんどん前に進むべきです、どん底に落ちれば落ちるほど上が広がって伸びる余地あるぐらいの考えを持つことで解消される、要するに若き日の出来事は経験として楽しむべきでしょう。


若き日の試練は楽しんで受けるべし、そんなチャンスは素晴らしい、考えてみると前向きに思うか尻込みするかの違いでしょう。





inserted by FC2 system