厚い壁にぶっかった時どうする

   現代で壁にぶっかった時、お休みして過去に戻る

    よく言われることは前進、前進、後ろを振り返らず前向きになること、これは考えようではおかしい、何がし経験はしているものの、確実に覚えている
     わけでは無い、自分が調子良かった時のデータなどを照らし合わせて考え直してみるのは不可思議なものでも何でもない、もう一度見直してまた
     新境地を探るのも方法、焦れば焦るほどどうしょうもない心境になってゆく、これはストレスに繋がる事になってゆく一生懸命頑張ってみても前が
     開けない状況下
に落ち込んでしまう


    上級クラスでも下級クラスでも同じことですね、違う部分で言うとその過去の年齢の違いです、いわゆる年齢に合わせた新しい組み換えが必要に
     なってきます、例えば20代、40代、60代で組み立てが違うということなんです、要するに集中できるポイントをどこで見出すか、例えると若い時は
    何事も怖さを知らない、40代ではある程度慎重になる、60代では痛みと限界を知るから判断が難しい、20代では厚い壁でも突き破る情熱を持って
    進める、要は
    当たって砕けてもという前向きな考え方、40代では試行錯誤してそのポイントの対応を考えてゆける、60代では避けるのも方法として妥協しながら
    できる 過去を振りかえっていても消極的なものになってゆくだけ、とも思えるが意外と過去が教えてくれる場合もある、今までの悔しい想い出や嫌な
、   昔のこと、今と昔と比べてみるのも大切、あの悔しい絶望、悲惨な出来事、痛み、あの惨めさや試練と今の悩みを比較すると、何ともいまにとっては
    たわいものないことなんだと思うこともあるでしょう、そこら辺から案外、解決の糸口が掴めるかもしれないということです


   厚い壁はそう簡単に壊せない
   
   昔から押して駄目なら引いてみなという言葉があるが、それも言えるがそう簡単なものでは無いようだ、考えれば幾つもの壁に当たってきたと思う、打ち
    破れた場合ものあるが殆どが後ずさりしてゆく事が多かった、要するに成長過程が一番充実していて限界を感じた時は既に下降線下にあったと言える
    ようだ、その場その場で悩みもあってそれ以上越すというのは非常に苦心が強いられることになります、引くということは考え方では逃げるという意味に
    取る人と、休憩を与えると感じるかはその人の捉えよう
   
    さぼるという言葉があるがこれも考えようでは良い休養になる、大まかという言葉があるがこれはもう整理するには簡素化することで細かいことの積み重ね
    をまとめる力は若い世代、老体には負担が大過ぎと経験が邪魔をする訳、年齢によって壁が出来れば逃げる意味でなくお休みをいれる感覚であって意外と
    簡単に考えをまとめることができる、経験を積めば前に進むところのリスクを体で感じていると感受するからそうなるのでしょう、要するにそれは迷路のような
    もので進むととんでもない世界が待っていたり、下がるとまた違う迷路に入り込む、

    その進路を諦めれば何時かまたそんな状況が待っていたらどうするとなる、人間は楽をして抜け道を探したり、無傷で通れる方法を探す、堂々巡りで
    また元の所へ帰ってきたら何にもならない、その場、その場で立ち止まりじっくり考えてみることも良し、ある例で小説家、漫画家、作詞家、作曲家、これらの人
    が経験すること、いままですらすら書けていたものが突然ペンが止まり、どうしょうもない状態になるという、これが壁なんでしょうね、これも職業病の一つ、
    誰もが経験することなんだそうです

   編集社に追い込まれないと良い作品が書けない人、発表会が迫らないと力が出ない人、色々タイプがあります、お金が絡まないとまったくやる気が出ない人、
   そこで 環境を変えて旅にでる作家、深夜しか仕事が出来ない場合、忙しすぎてパニックになる人、これはもう職業病の一つです、それも壁の一つ、どうやって
   乗り越えられるのか?この壁を突破するにはどうするのか、その方法は休むことなのか、どんどんやる事なのか、あなたが若い人ならば進むことを推奨します
   失敗したらそれを栄養にでき、また進むことが出来るからです、中年以降では何でも自分でやろうと思わず、若者を上手く活用できた人に成功の道が開ける
   と思います

    大きな障害と留めない壁面の違い

    壁面はそこだけ破ってもほかが崩れてくる可能性がある、障害とは移動すれば済む、しかし存外回り道をした方が良策の場合もあります、その判断は個人
    にある、随所その目的に向かって決めなければならない、此処はこうすれば乗り切れる経験があれば良い訳だが無かったら冒険に近い判断が必要になって
    くる、自分の中でそれは大きな壁ととるか、崩しようのない障害か判断か求められる事になります、いまは便利なものでネットやスマホでその情報や解決策が
    検索で解る時代になってきていますね、これはあくまでも参考資料として最終判断は自分で決める、

    判断能力は自分で決断できる訳ですが、そのような悩みや壁を打ち破る為に努力している人も世界には沢山居るのだと知ることも大切なこと、そして後輩に
    伝えてゆく、考えている間に凄く楽しみになる時間がある、これが大切な部分でいち早く直通で悩みを解決して安堵するのが良いのか、迷い迷い遠回りして
    壁を乗り切るのが正解なのか前者は要領がよく上手く乗り切ることが出来た、後者は要領が悪く苦労して遅れをとった訳だがどちらも答えは同じ所に辿り
    着いた、後で着いたものは2番煎じ

    しかしどちらが良かったのか内容的に充実しているのは後でたどり着いた方に軍配、賢い方は前者、ただし先に上がった者がその後出世するとは限らない
    のが不思議なところ、だから悩むことで伸びるタイプ、すぐに判断できるタイプ、どちらが大化けするかというと後者なのかも知れない、指導者はそこをみる
    訳なんです、だったら苦労を楽しむ癖を付ければ何事にも乗り切ってゆく心身が磨かれているという事なんでしょう、回り道してその壁や問題点を
    探してみる姿勢、考えてきた経路や学んだ姿勢が一番壁を打ち破るべく知識を得られるように感じます、


    要するにどちらでも何とかなると考えるべきなんですそしたら怖いものは軽減され柔軟な考え方が生まれます、どのような方法でその壁を壊せれる、乗り
    越えられる、楽しくなる部分が増えるに間違いない、ようは力を入れずリラックスした方が落ち着いた判断ができるし、固い物質は案外力まずに柔らかい方が
    壊しやすいのかも知れない、ということは柔らかくなるイコール、楽しんでやると力みが消える、余裕ができる筈なんです、焦らずじっくり判断できる能力を
     身につけるという訓練が大切なんです、過去有名な小説家が温泉馬などで仕事をするのもこのリラックス効果(癒し)効果でもあるのだろう


    硬いものには柔軟さが必要

    どうしても破れない壁、焦れば焦るほど余計に力が入ってしまう、野球で例えれば手投げで腰がはいっていないから急速はバットの前で落ちてくる、要は
    力んでも効果は薄い、勿論コントロールも悪い、だから硬い壁は打ち破れない状況下に陥る、緊張状態になればなるほどリラックスは大切、集中はしなければ
    ならないが力を抜く事は大切になってくる、よく肩の力を抜けといわれるが正にそうです、押してばかりだと無理な時、引いてみるのも良い精神状態をコントロール
    することが出来るし自分が何がし追い込まれた時必要になってくるようだ、硬いものは硬さで勝負するか反対でゆくか

    訓練と練習の中から会得する事が大切、よくイメージトレーニングの話を聞くが練習や努力を重ねた後でするのがこの方法、ただ楽をしてコントロールするだけ
    ではそう大きな成果は得られない、これはどんでも突き進めないと判断したら一歩引き、冷静にまず考えてみようと考えるでしょう、それから回り道をするものか、
    諦めるか、ここで年齢が大いに関連してkるみたいだ、若き日は体も対応ができるので進むことが出来るし、反省もできるから前向きな姿勢で進むことはできるが
    年齢が増すと、ダメージが大きく、耐えあれない体力、精神力が混乱して低下する、

    老年にもなれば逃げることも一つの方法、辞めるのもそう、回り道している時間も無い、経験だけが頼り、要するにストレスなど負担になる可能性が大きいから
    自分に似合ったやり方が必要です、年相応に対応してゆくしかない、若人の変人は楽しみだが老年の変人はどうしょうもない、素直に老年は手を抜き、すぼらに
    生きてゆくのも道筋になる、しかし諦めるという言葉はすこし老人に対しては意味が違うかも知れない、妥協するという考え方が正しいと言えましょう、負ける
    という悔しさがあればまだまだ馬鹿にはできない


   3度は繰り返し試してみる
   
    一度だけチャレンジしてどうしょうもなく、すぐに帰ってしまうのもおかしい、2度、4度は必要、大体その硬さが解るというもの、諦めるのはまだ早い、突然何もできなく
     なったという悩みもそうです、でも途方にくれている訳にもゆかず何がしやってみる、自分がどれだけ厚い壁面に留まっている状況か見極めるのも必要、そこで

     厚いか薄いかの確認
がいる例えば道具を用いて試すとか色んな方法を用いるそれが世界規模や宇宙規模からみれば些細なことと思える事でしょう
     賢い人か
らみるとそんな事しているより他人を使えと考えるでしょう、その壁を簡単に壊してくれる人材を探すことの方が良いと言う

    
なるほど自分だけでどうにかしょうという考えに陥ってしまっているのかも知れない、その問題に相性があって、自分と悪いが他人なら良い人がういるということか、
    まぁ〜学歴や派閥を利用してのし上がってゆく人もいる、政治の世界も似ている感じがする、
とにかくとっとり早い方法だとも言える悪賢く言えば恩をきせる方法、
   
れが上手く自分の中で消化させるとギブアンドテイクという形で正当化される、殆ど現代社会はこれで成り立っていると言えよう、

   変わっている人間の方が妙味がある
   
   縦社会、学閥、派閥、世の中出世には欠かせない条件でもある、しかし自分が一生終える時に悔いが残る人生を感じるのなら若くても良いから自分の思う世界に
    転職すべきである、芸能人でも俳優でも歌手でも上から可愛がられ確りした
先輩や後見人を持たないとそう簡単に上がれる世界でもない、そこには恩人が存在
    する事となる、
しかし確固たる地位を持ち、世のしらがみに関係なく生き抜いてゆけたとしたら変人を通しても生きてゆける、これは変人と言われる存在と化する
    
良いように考えると学閥も無い、上下差も無い世界でも食って行ける技術次第で生きてゆける世界、
    
   人生の岐路にもいえること

   長い人生には幾度かの岐路はあるでしょう、これも壁の一つでもあるようだ、やっぱり今の仕事のほうが安全で辞めてまでしてもどうだろう考える時期が来ることが
    あります、これを破って進むべきか、留まって辞めるべきか、勇気は要りますが判断次第で悔いが残るか、やっぱり思った道を行ったほうが良かったか、これは時間
    が立たないと解らない、それが壮年となり人生の終わりとして第二の世界へ入ることもそう、それが果たして良かったのか、どうだかはやってみないことには解らない、
    ふと思いついてその場で判断する、相当前から思いつき貯蓄などをして構えるタイプがある


   そうしてみれば若き日の考えと似た部分もあるということ、人生でも岐路は2度〜3度ある場合が想定されます、慣れた道をそのまま進んでゆくべきか、道を進むべきか
   、判断に迫らえる、これも壁を破った事になるでしょう、壁と言っても形としてあるものでなく目に見えないもので、自分の判断という形で抜けられるかとの話です、考えて
    みればそれは厚いコンクリ^トや鋼鉄fでは無い訳で見えないもの
物質的なものでは無い場合が殆どでしょう

    こう考えてみると大きい小さいはあるがそう難しい物でも無いように感じてくるわけです、小さなことで悩んでいることが解り、たわいものない事に気付けばそれで意外と
    突破口は見える筈、なるほどなるほど、ひとつの事で立ち止まり、それが響き皆がストップしてしまうなど馬鹿らしい問題はそれをどのように解釈したり妥協してみたり
   、消化してゆくべきか、ともかく自分の判断で進んでゆくしかないのです、ここら辺で壁に対する一つのヒントにたどり着く可能性が大きい


    打開策は「映画」「舞台」「本」にあるかも

    
僕も若い頃、何かに行き詰まった時、映画を見たり色々観て回った、しかしそれで解決したとは思わない、ただストレス軽減にはなったようだでも後からは何がし
    ヒントにはなっていると思う節があるm自分では解らない部分の出来事だったみたい、舞台を観て夢が広がった場合もあるでしょう、それが何者かは当時まったく
    解っていないのが本音の所と感じる、壁から離れて一歩下がって他の世界からその打開策を練るということで諦めるという訳ではない


   舞台にしても映画にしても見ている主人公は自分からみると遠い存在かもしれないがその中で何かの共通点を見出すことにある、第三者の目でみればストレスが
    かかった自分には笑いはない事がわかる、しかし自分の中では笑いは無、他の面から見てみるのも方法、その忍耐と辛抱がその後の人生に大きく関与して行くことも
    本人では気付いては居ないでしょうね、

    僕も若い頃さぼって映画に行くこともしばしば、舞台もです、何か仕事を休みたい症候群、何がし感動が欲しい、得るものが欲しい、そんな感覚です、悪いと知りつつ 
    自分自身が一杯一杯でどうしようもなく、そんな行動に走ってしまう、本も良い、自分のストレスを解消できそうな本を選ぶことも大事、自分と同じような考えを持つ人が
   居ると思うだけでほっとするものです、壁を乗り切るには少し後ずさりしたが他の面では積極性がでている、進んで観劇する事もそう、ただ立ち止まっている時間が
   あれば他の世界で何かを感じる
のは大切でしょうね


    出世するには長いものには巻かれろとというが

   世の常理を上手く乗り切った者が勝利するようだがそうも言えない、大きい物にしっぽを振って付いてゆくのも出世の条件になるのも間違いない事でしょうが、何がし
    違和感がある、確かに大きな物がバックに居ると波風は立ちにくい世界、要するに可愛がって貰わないと上に上がれない、才能が有っても上がれない人は沢山いる
    筈です、それがまた虐めを生むことになる、政治家にしてもそうだし、縦社会で生き抜いてゆく為にはどうしても通らないといけない仕組み、そう勝ち組、負け組が生じる
    しかし老後を迎えた時、現役から離れて暮らす時始めて本当に納得できる生き方ができるのは不思議なことでは無いでしょう


   現役では成し得なかった生き方をできる第二の世界、これが本当の生き方と感じる場合が多い、前にはばかる壁を壊す必要もない、上のひとにべんちゃらを言う事もない
  、、賢く世の中を渡る必要もない、こういう生き方で渡ることが出来たらどんなに素晴らしい事だろう、
どれだけ論理を述べても自分自身大変お世話になった方が沢山
    見える、感謝しているだけに何にも無しの世界では無かった、理想論に過ぎないわけです、
でも相当なバックがいても出世するとは限らない訳で才能が見いだせられない
    としたら見た手違いが生まれる、要するに大化けするかの問題、人の推薦は受けるものの
自分では最大限の努力が必要です、その姿勢が小さな壁を破れる策だとも
    言えます

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